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2016年12月4日日曜日
家康公がこよなく愛した鷹狩り
岡崎城公園にて諏訪流放鷹術保存会さんの鷹狩り実演に帯同させていただきました。
鷹狩り実演を見るのは2回目ですが、やっぱりかっこいいです。
鷹匠、鷹匠補さんが女性というのも余計にかっこよく感じます。
初岡崎城でしたが、時期が良かったです。
紅葉がとても綺麗でした。
個人的にまた観光にしたいです。
諏訪流放鷹術
中央アジアで4000年以上前に発祥したと言われる鷹狩(放鷹)は、
人と鷹が協力し合う最も古い伝統猟法の一つです。
起源については諸説ありますが、
日本書紀によれば日本でも4世紀に仁徳天皇によって公的な鷹狩専門の部署が設けられて以降、
高貴な人々や徳川将軍家など時の権力者の庇護を得て、途絶えることなく維持され、
1650年以上の歴史を紡いできました。
放鷹術とは人が鷹と共に生き狩を行う為の鷹匠の総合的な技と心を示します。
諏訪神社には勘文が伝えるように狩猟の神が奉られており、
そこで贄( にえ )鷹の神事を執行していた諏訪流は、
最も伝統的な特徴を残す流派の一つであると言えるでしょう。
神の化身であると言われる鷹のため、鷹匠は鷹に仕え、獲物を鷹(神)に感謝して捧げます。
そのため諏訪流鷹匠は鷹を己の鏡としてその姿を鷹に映しながら常に人間としての成長を願うのです。
一般に、渡来系の流派である呉竹流や政頼流から伝えられたとされる宮廷の流派であった禰津流が、
諏訪の地に入り、諏訪信仰を基にする諏訪氏大祝一族が興した諏訪流と融合し、
独特の技術や観念が形成されたと考えられます。
諏訪神社における鹿食免の発祥が仏教伝来による殺生戒に対する理論であったとしても、
それは当時の人々にとって納得のできる妥当性を持つものでした。
肉食に対する嗜好と罪悪感という相反する思いは、今もなお共感できるように思われます。
たとえ自ら殺さないとしても、生物としての人間は、
他の動植物の命を奪うという定めから逃れることはできないからです。
このような感情が「諏訪の勘文」のような、生に感謝し、
奪った命ともども成仏しようという考えを生んだのではないかと思います。
お客さんも体験していました。
大人も子供も大喜びでした。
実演のあとはお持て成しさせていただきました。
岡崎城の甲冑隊との交流も楽しかったです。
今年最後の出陣。
とても有意義な時間を過ごすことができました。
事故も無く1年を終えることができてよかったです。
とても充実した1年でした。
来年はどんな年になるか楽しみです!
いやー、鷹狩りって本当に良いものですね。
これからも文化、技術の継承、頑張ってください!
鎧仁會の次の出陣は 2017/1/1(日) 浜松城 です。
是非遊びに来てください。
では、また次回‼︎
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