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2017年5月4日木曜日

遠江最北端の山城 高根城



静岡県浜松市水窪の山奥

高根城に行ってきました。

標高500M弱の山城。というより砦でした。

想像していたよりしっかりとつくられていてびっくりしました。
あと、大河ドラマの影響かそこそこ人がいました。




































高根城に来たいと思って早3年

ついに念願が叶いました。
付き合ってくれたおじさんたちに感謝です。
下山してきて膝が笑っていました。大笑いでした。



城の歴史


高根城、別名:九頭郷城(くずごうじょう)が築かれたのは

15世紀前半であると判明しています。
城主は地元の国人領主、奥山氏でした。
永正年間および大永年間(1521~1528)遠江・駿河を支配していた
今川氏から土地の支配を認められていました。

奥山氏による北遠江支配は、今川氏没落後

武田信玄、徳川家康の力が強まった頃に大きく変わりました。

奥山氏は永禄12年(1569)には

今川氏真、徳川家康という敵対している両者から
領地を認める同じ内容の書付を、
さらに元亀3年(1572)には武田信玄からも
同様の承認を得ていました。

おそらくこの頃奥山氏内部で、

今川・徳川・武田のどこに属するか内部分裂が起きています。

この分裂の際、奥山氏の惣領家が滅亡し

武田信玄へ味方することになりました。

元亀3年(1572)の信玄による遠江侵攻戦の前には

武田方の兵力が駐屯することが可能な番城となっていました。

現在見られる城郭は

元亀元年から天正4年(1570~1576)の間に
武田軍の手によって大きく改修を受けた姿になっています。

信玄の跡を継いだ勝頼は、

天正3年(1575)の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れ、自害。
勝った徳川は武田軍を追い出すために
盛んに戦を仕掛けていきました。

武田軍は、二俣城を取り返され、

やがて犬居城も奪われてしまいました。

武田軍が遠江から信濃へ追い返されると、

やがて高根城は廃城になりました。


いやー、高根城の歴史って本当に良いものですねぇ


どの大名の下で働くか、決断を誤ると大変なことに、、、

どの選択も命がけで心休まらなかったことでしょう。

現代人は何かを間違えても命までは取られない。

失敗を恐れずに何でも挑戦しよう!


では、また次回‼






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