静岡県富士宮市にて
第27回「織田信長サミット」が行われました。
織田信長サミットとは、織田信長に所縁のある地域の関係市町村が、
ふるさとの歴史を生かしたまちづくりを進め、まちの繁栄を築くための目標、
宣言を共有し、交流を深める行事です。
2年ごとに各市町で持ち回りで開催します。
今回富士宮市での開催は初めてでした。
富士宮市と織田家とのつながり
天正10年(1582)4月12日の信長公記には、
織田信長公は、現在の山梨県本栖湖付近から、
静岡県富士宮市の朝霧高原に入ったとあります。
武田家討伐の成功と雄大な富士山を初めて見た嬉しさからか、
小姓と馬を走らせて楽しみ、白糸の滝、人穴、その昔、
源頼朝公が富士の巻狩の際に陣を張った狩宿などに立ち寄ったと記されています。
現在も富士宮市の浅間大社東側には、御殿町と呼ばれる場所があり、当時、
信長公が腰掛けたと伝わる「富士見石」など、
信長公が富士の麓の富士宮市(大宮)を訪れたと思わせる史跡や地名が残っています。
その僅か50日あまり後、信長公は京都本能寺で、明智光秀の謀反により倒れます。
変の前夜に信長公は、本因坊算砂と鹿塩利賢に囲碁の対局をさせており、
戦乱に巻き込まれた本因坊算砂が、旧知の原志摩守に指示し、
首を西山本門寺まで運ぶよう命じたと言われ、
その首は本堂奥の大柊のもとに安置されたと伝えられています。
サミットでは各市町の紹介のほか、
直木賞作家である歴史作家「安部龍太郎」先生、
軍師官兵衛やおんな城主 直虎の時代考証を担当した
静岡大学名誉教授「小和田哲夫」先生の講演会もあり、とても濃い行事となりました。
我々鎧仁會も武者行列の中心として携われたことはとても貴重な経験でした。
次回の開催は2019年、名古屋市です。
では、また次回‼
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