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2018年10月29日月曜日

第41回 全日本前装銃射撃競技選手権大会



火縄銃による標的射撃の大会に参加しました。






結果は12位とイマイチでしたが、
得点は自己ベストとほぼ同じでした。

普段の大会であれば入賞できる得点は取れていたので、
平均的に会員の実力が上がってきていると感じました。


やはり日本一を決める大会ですからね、

みんなの気合が違います。



射撃の内容に関しては、
グルーピングは前回よりまとまっていたので良かったです。

自己ベスト更新と平均点の底上げのために、
何をやるべきか見えてきました。

来年の大会に向けて、今日からまた励んでいきます。



日本前装銃射撃連盟とは、、、


スポーツとして前装銃射撃を実践研究し、古式道としての砲術の伝承を図りつつ、
また世界に誇れる日本の文化として、その歴史や背景を考究しようとする団体です。
前装銃とは、先込め式鉄砲のことです。
現代の銃砲とは異なり、筒先から火薬や弾丸を込める古い型式の鉄砲のこと。
英語ではマズルローダー(Muzzle Loader)と云います。
日本では火縄銃が一般的です。

我が国へ火縄銃が伝来して以来、日本人はたちまちその技術を吾が物とし、
その製造システムと活用を短期に全国に広めました。
これは世界でも類のない歴史です。またこの時初めて日本にネジが伝わり、
今日の我が国の工業技術発展の要諦となったことは大事なポイントです。 
鉄砲は瞬く間に各地に広がり、争いの帰趨を分ける武器となり、
時の政権を決める要素となりました。 その後の徳川政権時代は平和な時代でした。
戦いはなくなり、武器は形骸化し、武術は次第に道場中心となり、ある種の嗜みになります。
武術のスポーツ化です。 さらに下って剣術は剣道に柔術は柔道にと道を変えます。
砲術も同様でした。砲術も盛んに研究され、同じく道場砲術の時代を迎えます。
江戸時代後期には多くの流派が存在しました。 
しかし明治維新を迎え、開国後は洋式調練の導入によって古式砲術はその技術も操法も急速に消えていきます。
残ったのは骨董品としての火縄銃でした。
その陰で砲術のソフト面は残念ながら消えていきます。
それが再び火の目を浴びたのは昭和に入ってからのことでした。

この火縄銃や古式砲術の伝統と、歴史的異議、文化性に着目し、
スポーツ射撃の世界に道を開き、後生への伝承を図りつつ、
その歴史と背景を考究することこそが、私たちの活動の目的です。 


では、また次回‼









2018年10月23日火曜日

京のかたな展



京都国立博物館にて刀剣特別展を観てきました。


義元左文字もしっかり見てきました。
資料と違っていろんな角度から見ることが出来ました。


本阿弥光徳刀絵図の実物も観れたので、
入場までの長い行列を待った甲斐がありました。


絵のクオリティはとても素晴らしく、
波紋の濃淡まで細かく描かれていました。
きっと本物を忠実に描いていることでしょう。


今回は日帰りでしたが、
今度はゆったりした日程で観光も楽しみたいです。




では、また次回‼

火縄銃の威力と射程について


火縄銃の威力って、実はすごい⁉

火縄銃の威力と聞くと、「昔の武器だし大したことないんじゃないの」
って思う方もいると思います。

確かに、現代の銃と比べると
有効射程距離や命中精度は劣るところもあります。

しかし、火縄銃が登場した当時では、
とても画期的な武器であったことは間違いありません。

今回はその威力と射程について書いていきます。


まずは威力について、、、

結論からいうと、鎧は貫通します。


歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟による2005年に行われた実験では、
厚さ1mmの鉄板を貫通しました。

1mmの鉄板を2枚重ねた場合、貫通こそしなかったものの、内部に鉄板がめくれ返っており
足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかと考えられます。
ちなみに距離は50mです。

距離30mの場合、いずれの標的も貫通しています。

また、厚さ48mmの檜の合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせました。

この時使用した火縄銃は、口径9mm、使用火薬量は3gでした。

戦国時代、兵士は鎧という防具を纏っていました。
鎧は薄い鉄板でできていました。厚さはせいぜい1mm~2mm。

大将級であれば話は別ですが、
足軽の鎧は動きやすさと量産性から、その程度です。
人によっては、鎧を買うお金がなく、竹製の鎧の人もいたそうです。

つまり、50m以内まで引き付けて使用すれば、絶大な威力を発揮したということです。

何の資料だったか忘れてしまいましたが、
「向かってくる敵兵の黒目と白目が区別できるまで引き付けて撃て」
というのを見た記憶があります。

当時の人の視力がものすごく良かったとしても、相当近いですね。

弓と比べると連射性には劣りますが、威力は比べ物にならないでしょう。


また、1981年頃に行われた別冊Gun誌の実験では、
三匁筒(口径約12mm)で重さ174グレイン(約11.3g)の弾丸の発射した場合、初速は330m/s程度でした。
銃口エネルギーは現代の実包に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間という結果です。

射程距離内においては現代銃にも劣らないということです。


射程について、、、


農民などの動員兵や足軽が使用する銃は二匁半~六匁(口径11.79mm~15.79mm)程度でした。

この場合の有効射程距離は~200m程度とされています。

角度をつければ、射程距離自体は弓より長くなります。
しかし、この射法で威力を発揮できるのは大筒などの弾頭重量が重いものに限ります。

遠くから小石が飛んできても鎧で防げますが、
バレーボールほどの大きさの鉛の塊は、、、ゾッとします。

有効射程距離が200mあっても引き付けて撃つ理由は他にもあります。
それは命中精度です。


火縄銃の仕組みでも触れましたが、
火縄銃の銃身は滑空砲であり、弾丸も球体のため空気抵抗をうけやすいです。
そのため現代銃と比べ集弾率が良くありません。


しかし、集団率が悪いといっても射程50m以内ではあまり影響がありません。

同じく前装銃射撃連盟の実験では、
ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾、
50mでも5発中4発が着弾するという好成績を収めました。

威力もあり、命中精度も射程距離でカバーできるとなると、やはり最強の飛び道具なのか、、、


いや、まだ弱点はあります。

それは連射性に劣ることです。


火縄銃は一発づつ弾丸を装填しないとならないため、次弾を撃つまでに少々時間がかかります。
熟練者が装填しても早くて20秒程度です。

つまり50mまで引き付けて射撃し外した場合、
次弾を撃つまでに敵兵に射座まで到達されてしまいます。

その欠点をカバーしたのが三段撃ちといわれる射法です。

この三段撃ちには現在では様々な見解があり、
単純に鉄砲隊を3組に分けて運用したわけではないようです。
三段撃ちなどの射法についてはまた今度書こうと思います。

いずれにしても、火縄銃を単体でなく大量に導入することによって、
戦での鉄砲の立場、戦のセオリーや鎧の意義など様々なものに影響を与えたことは間違いないでしょう。


一口メモ:火縄銃が戦に導入され始めた当初、命中精度に期待ができませんでした。
       そのため、馬に2人乗りで相手の前線に近づき、1発撃ってすぐに自陣に引き上げる
       いわゆる威嚇として運用していたという説もあります。  当たればラッキー!って感じでしょうか。
      音も大きいので、鉄砲の存在を知らない兵士にはかなりのインパクトを与えたことでしょう。


まとめ


1.火縄銃の性能は連射性以外、現代銃とほぼ同等。
2.射程距離内50m以内では威力、命中精度ともに絶大。
3.大量導入、運用方法によって連射性もカバーできる。


今度は火縄銃の運用方法や射法、お金事情について書きたいと思います。




では、また次回‼











火縄銃とは? (火縄銃の仕組みと構造)



刀、槍、弓を用いて戦闘を行っていた戦国時代、
当時は特に弓矢での死亡率が高かったとされ、弓兵は大変重宝された。
しかし、飛び道具最強の座はある武器の出現によって揺らいだ。


一五四三年(天文一二年)に種子島(鹿児島県)に伝来したといわれている火縄銃。
種子島に伝来したことから、種子島銃あるいは単に種子島とも呼ばれていました。



そもそも火縄銃とは、、、


黒色火薬を使用し弾を飛ばす火器
その弾は銃口から装填するいわゆる前装式
銃身の特徴は砲身内にライフリング(旋条)が無い滑腔砲
点火方式は火縄を使う

主にこの様な銃器のこと火縄銃とし、
日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称します。




発射の仕組み、、、


仕組みは単純で、
火ばさみに火のついた縄を挟み、発射したいタイミングで引き金を引きます。
すると仕掛けが動作し、火縄が火皿に落ちます。
火皿に盛った口薬(こうやく、くちぐすり)という点火薬に着火し、
内部の玉薬(たまぐすり)という発射薬に火が伝わり爆発、その衝撃で弾を飛ばします。



火縄銃の機構、、、





筒(銃身)・・・鉄等の金属製。
       火縄銃全体の八割以上の重量を占めている。

前目当(照門)、先目当(照星)・・・標的を狙う際の目安として使う。

台木(銃床)、台カブ(床尾)・・・木製。樫、胡桃等堅い木で作られていることが多い。

カルカ(槊杖・さくじょう)・・・弾を薬室(銃身の底)まで詰める為の道具。

目釘穴(めくぎあな)・・・銃身と銃床を固定する為の穴。竹などを加工したものを通す。

火皿・・・口薬を置く場所。




仕掛け部分(カラクリ)・・・火ばさみ、弾き金(毛抜き金)、地板、押え金、用心金、引金のこと。
             主に真鍮(しんちゅう)製。

火蓋・・・火皿に不本意に火が落ちた時、暴発しないための安全装置。開け閉めができる。
     火蓋を開けることを「火蓋を切る」という。

火ばさみ・・・火のついた縄、いわゆる火縄を挟む部品。

弾き金(毛抜き金)・・・火ばさみを動作させる部品。

地板・・・押え金(台カブ内部の仕掛け)と弾き金、火ばさみの間にある部品。

引金・・・押え金を動作させる部品。引金を引くことにより火ばさみが動作する。
     引金→押え金→弾き金→火ばさみの順で動作する。

用心金・・・引金が不本意に動作しないための保護具。


一口メモ:合戦の際、いきなり白兵戦が始まることはほぼ無く、
       まずは弓や投石、銃による遠距離攻撃を仕掛けます。(「矢合わせ」という)
       勝負事の始まりを「戦いの火蓋が切られた」と表現することがありますが、
       これは火縄銃を撃つ直前の動作「火蓋を切る」からきています。




火道・・・口薬についた火を内部の火薬に導火するための穴。

尾栓・・・内部での爆発力が銃口側だけに働くように銃底部を塞ぐネジ状の栓。

弾丸・・・鉛製で球状。銃の口径に合わせて専用の道具「玉造鋏」で作る。




左下:銃身と台木をバラした様子。他3枚:銃底部




 「玉造鋏」くぼみ部分から溶かした鉛を流しいれる。



開くと内側は綺麗な表面。



はみ出た分(ヘソ)はニッパーで切り落とし整える。



まとめ

1、火縄銃の仕組みは単純。
2、射撃だけなら誰でも簡単にできる。
3、簡単に説明するのが難しいことが分かった。



火縄銃について知りたい人は他にどのようなことが知りたいのでしょうか。
僕が知っていることであれば都度書き起こしていくつもりです。
気軽に問合せ下さい。



では、また次回‼












2018年10月15日月曜日

第30回 国宝松本城 「古式砲術演武」



10月14日に松本城本丸庭園にて、火縄銃の演武をさせていただきました。

駿府古式砲術研究会駿府鉄砲衆としては、15回目の参加となります。
今回も松本城鉄砲隊、愛知県古銃研究会鉄砲隊と合同演武でした。













30年前からあるお祭りに携わる事が出来ること、とても有り難いです。
また、これから先もずっと続いてほしいので、僕らに出来ることを限りなくやっていこうと思います。




お祭りに参加された、各鉄砲隊の皆様、
準備等にご尽力いただいた関係者の皆様に感謝します。


今後も盛り上げていきましょう!





では、また次回‼







2018年10月10日水曜日

第62回 ぎふ信長まつり


2018年10月7日

ぎふ信長まつりに参加させていただきました。


ぎふ信長まつりとは

岐阜のまちづくりに貢献した織田信長公を称え、
毎年岐阜市中心市街地一帯で開催される、岐阜を代表する秋のおまつり。
今回はスペシャルゲストとして、東海地方を拠点に活躍するアイドルグループ「MAG!C☆PRINCE」の
岐阜市出身メンバー、永田薫さんが、まつりのメインイベントである戦国武将や火縄銃鉄砲隊などで編成する
「信長公騎馬武者行列」で織田信長公役として出発式やパレードに参加するとともに、
「MAG!C☆PRINCE」メンバーたちとのトークショーを開催するなど、
例年以上にまつりが盛り上がった様子でした。

また、自由なおどり文化を発信する「市民勝手カーニバル」や
「音楽隊パレード」などによる中心市街地一帯でのパレードや、
「若宮町歩行者天国」などのイベントに加え、各団体の協賛イベントが市内各所で開催され、
この2日間は岐阜のまちがまつり一色になります。


僕たち駿府鉄砲衆、遠州鎧仁會は、
信長鉄砲隊として参加させていただきました。

市街地で火縄銃演武をする機会はなかなかないので、とても貴重な経験でした。

この演武をきっかけに、たくさんの方に時代祭や鉄砲演武を見るために
城跡や地方のお祭りに足を運んでいただけたらと思います。



































では、また次回!!