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2020年1月11日土曜日

成人式のあれこれ



現在日本では、1月第二月曜日が『成人の日』ですが、そのルーツはご存知でしょうか。
そもそも成人式とは、式を行う年度内に満20歳となる人々を対象に、新たに成年者になったことを自治体としてお祝いする行事としています。

成人の日が現在の日程となる以前は、1月15日が成人の日でした。
1月15日が「成人の日」として祝日になったのは、1949年。
おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげますという趣旨の通過儀礼です。
では、なぜ1月15日だったのでしょうか。
それは、江戸時代以前、男子の「元服(げんぷく)()」が1月15日に行われていたことに由来しています。

旧暦、太陰太陽暦時代の暦では毎月15日はほぼ満月であり、
特に1月15日は、その年の初めての満月を祝う「小正月」です。
つまり、この特別な満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」をおこなっていたのです。

明治六年(1873)に、それまでの太陰太陽暦から現在の太陽暦が採用されました。
その際、節句や暦の雑節は太陽暦の同じ月日に移動し、それまで行事がおこなわれていた時期と約一ヶ月ほどのズレが生まれました。

それによって、本来その行事が持つ意味合いが薄れてしまったように感じます。
たとえば、3月3日の「桃の節句」。
現在、この日にちには露地で桃は咲いていません。
旧暦時代には、これより約一ヶ月後の4月上旬にあたりますので、誰もが桃の花を楽しむことができたわけです。
元服の儀をおこなった小正月も旧暦時代は、現在の2月中旬。
立春を過ぎ、春の足音がハッキリと聞こえてくるころにあたり、若者が大人としての一歩を歩みだすのにふさわしい時節だったと言えるでしょう。

さて、それでは「元服(げんぷく)」とはどういうものなのでしょうか。

元服とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式で、
(かんむり)烏帽子(えぼし)を着用しました。これにより晴れて大人と認められます。

今でも皇室では、皇太子が、青年皇族の一員であることを内外に宣言し冠を授けられる「成年(せいねん)()加冠(かかん)()」と呼ばれる儀式があります。

また、古来武家には「烏帽子(えぼし)(おや)」という役割がありました。
元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親になってもらい、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例とされていました。
この仮親を「烏帽子(えぼし)(おや)」と呼び、被せられた成人者を「烏帽子子(えぼしこ)」と呼びました。
また、この際に童名・幼名を廃して、烏帽子親が新たな(いみな)を命名する場合がありました。
名前をもらうことを「偏諱(へんき)賜る(たまわ)」といい、以降(いみな)は烏帽子親からの偏諱(へんき)を受けることが多くなりました。
たとえば、松平元康(後の徳川家康)は今川義元から「元」の字をもらっています。
ちなみに幼名は「竹千代」でした。
またこの儀式は元服を迎える若者に冠を授けるだけでなく、烏帽子親はその若者の後見役(こうけんやく)を担ったのです。
下克上の戦国時代などは、誰に息子の烏帽子親になってもらうかということは、その家の将来の浮沈をも決める重要な選択だったわけです。

古来「元服の儀」では、多くの大人たちの中で若者が元服を宣言し、大人たちがそれを承認するというものでした。
武家であれば、元服を迎えたことで戦場に赴くことも許されます。
その力が確かにあるかどうかを大人たちは厳しい目で見極め、それを認めることではじめて自分たちの仲間の一員として、相互扶助の輪に加えたのです。

現在、自治体が開催する「成人式」では、多くの新成人がほんの数少ない大人たちを目の前にしておこなわれています。
本来の「元服」は、親兄弟はもちろん親戚縁者や後見役を担う職責者なども加わり、多数の大人の前でとりおこなわれた儀式です。

「一定の年齢に達したから一人前の大人である」ことを認めたのではなく、
大人になることを許されたというのが本来の意味合いです。
今少し、成人式のあり方を考え直しても良いのでは、と感じます。

大人の一員となったことを、より多くの大人たちの中で感じていただくことが、真の大人への第一歩。
「成人の日」は、単に自治体の成人式がおこなわれる日ではありません。
新成人の皆さまにとって大人への大切な一歩を刻む、大切な祝日です。

一人の大人として、これからその振る舞いが子供たちの見本となります。
だれからも好かれるような人になって欲しいとは願いません。
ですが、「自分自身が尊敬できるような人間」へなって欲しいと思います。
多くの新成人の皆様にとって素敵な一日となりますように。


2020年1月10日金曜日

今年の干支『子年』について

令和二年は子年ですが、みなさんは干支の意味をご存知でしょうか。
日本で十二支といえば、12の生物を連想される方が多いと思いますが、元々十二支には動物の意味はありません。
最初は、十干と十二支を合わせて日付を記録するのに使われていました。
そして、季節が月の満ち欠けを12回繰り返したら循環することから月に割り当て、時刻、方位などを指すのに使われるようになったのです。

このように十二支はあらゆる概念の指標になっており、生活においても重要なものでした。
そのため、多くの民衆に覚えて使ってもらおうと、馴染み深い動物が割り当てられたといわれています。
日本への伝来は今から1500年以上前といわれていますが、はたして当時の民衆に龍や羊が馴染み深かったのか、、、。それは一先ずおいておきましょう。

さて、干支は本来「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」を組み合わせたものを指します。

十干:甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)己(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)
十二支:子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)巳(み)午(うま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(い)

これらは月や日にち、方角に割り当てられたりしますが、年についても1年毎に割り当てられています。
ですので今年の干支は子年というよりも、『庚子(かのえ・ね)』という方が正確です。

ちなみに、十干と十二支の組み合わせは60通りです。
一見、10×12=120通りになりそうですが、実はルールがあり十干と十二支はそれぞれ奇数番目同士、偶数番目同士でしか組み合わない規則なのです。

例えば、十干の1番目の「甲(きのえ)」は十二支の偶数番目である「丑」「卯」「巳」「未」「酉」「亥」とは組になりません。

次に“子年”になるのは12年後の2032年ですが、次に“庚子”になるのは60年後の2080年になるということです。
実は還暦という概念はここから来ています。生まれた年の干支を再び迎える年です。


十二支の「子」の意味・由来

では続いて、今年の干支の庚子について、十二支の「子」や十干の「庚」の意味について解説していきます。
十二支はあらゆる概念の指標となっていますが、子についてまとめると以下の通り。

・時刻:23時~1時頃 ・方角:北 ・月:旧暦11月 ・五行:水 ・陰陽:陽 ・シンボル:ねずみ

子は本来「孳」という字で、
孳とは、孳孳(じじ)/つとめる/はげむ/しげる/繁殖する。
うむ/子をうむなどの意味をもつ漢字です。
十二支では、種子の中に新しい生命がきざし始める状態を指します。

そもそも十二支は植物の循環の様子を表しています。

子の前後は『亥⇒子⇒丑』となりますが、『亥』は本来『閡』で植物の生命力がその内に閉じ込められている状態。
『丑』は『紐』で芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態という意味。

この間に子があります。

十干の「庚(かのえ)」の意味

つづいて十干の『庚』の意味についてです。

・読み:かのえ(訓)、こう(音) ・方角:西 ・五行:金 ・陰陽:陽

『更』という字に通じ、植物の生長が止まって新たな形に変化しようとする状態を指します。

そして十干も様々な概念に使われることが多いのですが、陰陽五行説が特に重要です。

陰陽五行説における「庚」の意味

十干は陰陽五行説(陰陽思想+五行思想)がそれぞれ割り当てられており、それが運勢を占うのに使われたりします。

陰陽思想:全ての物事を「陰」「陽」の2つに分類する思想
五行思想:万物が「木」「火」「土」「金」「水」の5種類の元素からなるという思想

十干はそれぞれ

甲:きのえ=「木」の「兄(陽)」
乙:きのと=「木」の「弟(陰)」
丙:ひのえ=「火」の「兄(陽)」
丁:ひのと=「火」の「弟(陰)」
というように五行思想+陰陽思想で構成されています。

それぞれ陰陽思想(2種)と五行思想(5種)の組み合わせの2×5の十干です。

庚は「かのえ=金の兄(陽)」です。

今年の干支の「庚子(かのえね)」の意味や特徴

最後に十干と十二支を合わせた干支『庚子』の意味や特徴について解説していきます。

陰陽五行説で2つを見た時、組み合わせにより「相生」「比和」「相剋」「相侮」「相乗」に分類され、お互いを強め合ったり弱め合ったりする関係性となります。

『庚子』の場合「庚:金の陽」「子:水の陽」で“相生(そうせい)”という関係です。

相生:相手を強める影響をもたらす

特に金生水といい、金から水が生じるイメージです。
勉学や仕事、恋愛、健康などそれぞれが相互に影響をもたらし合います。
なにかに行き詰まったときは全く別のものから活路を見いだせることもあるでしょう。

つまり今年、『庚子(かのえね)』は
変化が生まれる状態、新たな生命がきざし始める状態といえます。
今までとは違うやり方を試したり、全く新しいことに挑戦するのに適した年とも言えるでしょう。

自分の直感を信じ、ガンガン行動してみてください!


ではまた次回‼


2020年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます



あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

本年も活動を通じて、
伝統をつないでいく架け橋となるよう、精進して参ります。

さて「正月」とは、1月のことであり、本来は131日までを意味します。
その年の豊穣を司る歳神様をお迎えするのが正月です。
11日~3日は三が日、14日~7日は松の内または松七日と呼びます。この期間が「正月」と言われています。(地方によります)

歳神様とはその年の作物が豊かに実るように、そして家族皆が元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。
門松やしめ飾り、鏡餅はすべて神様を歓迎するためのものです。

私たちの祖先は「すべてのものには命があり意味がある」という考えを大切にしておりました。
作物の生命(いなだま)と人間の生命(たま)は一つのものであると考えており、
人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎて個人の区別がなくなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。
この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰り「山の神」に、そして正月には「歳神」になって、子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言われます。

有難いものですね。

明治5年頃までは、日本での正月は24日頃の立春に行われておりました。
「めでたい」を「芽出度い」とも書くように、
正月=立春の、春の訪れと生命の誕生を喜びあいました。
そして「あけましておめでとうございます」という神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことで、歳神様を迎えたことを喜び合ったそうです。

2020年が始まった今、ご先祖様に感謝の思いを馳せて
自分がこの世で今、名前を持ち、肉体を授かり、個人として、生きていることに感謝し
地球での今を全うしようと心引き締めて参ります。


皆様にとって幸せな1年になりますように。