現在日本では、1月第二月曜日が『成人の日』ですが、そのルーツはご存知でしょうか。
そもそも成人式とは、式を行う年度内に満20歳となる人々を対象に、新たに成年者になったことを自治体としてお祝いする行事としています。
成人の日が現在の日程となる以前は、1月15日が成人の日でした。
1月15日が「成人の日」として祝日になったのは、1949年。
「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」という趣旨の通過儀礼です。
では、なぜ1月15日だったのでしょうか。
それは、江戸時代以前、男子の「元服の儀」が1月15日に行われていたことに由来しています。
旧暦、太陰太陽暦時代の暦では毎月15日はほぼ満月であり、
特に1月15日は、その年の初めての満月を祝う「小正月」です。
つまり、この特別な満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」をおこなっていたのです。
明治六年(1873)に、それまでの太陰太陽暦から現在の太陽暦が採用されました。
その際、節句や暦の雑節は太陽暦の同じ月日に移動し、それまで行事がおこなわれていた時期と約一ヶ月ほどのズレが生まれました。
それによって、本来その行事が持つ意味合いが薄れてしまったように感じます。
たとえば、3月3日の「桃の節句」。
現在、この日にちには露地で桃は咲いていません。
旧暦時代には、これより約一ヶ月後の4月上旬にあたりますので、誰もが桃の花を楽しむことができたわけです。
元服の儀をおこなった小正月も旧暦時代は、現在の2月中旬。
立春を過ぎ、春の足音がハッキリと聞こえてくるころにあたり、若者が大人としての一歩を歩みだすのにふさわしい時節だったと言えるでしょう。
さて、それでは「元服」とはどういうものなのでしょうか。
元服とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式で、
冠や烏帽子を着用しました。これにより晴れて大人と認められます。
今でも皇室では、皇太子が、青年皇族の一員であることを内外に宣言し冠を授けられる「成年の儀・加冠の儀」と呼ばれる儀式があります。
また、古来武家には「烏帽子親」という役割がありました。
元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親になってもらい、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例とされていました。
この仮親を「烏帽子親」と呼び、被せられた成人者を「烏帽子子」と呼びました。
また、この際に童名・幼名を廃して、烏帽子親が新たな諱を命名する場合がありました。
名前をもらうことを「偏諱を賜る」といい、以降諱は烏帽子親からの偏諱を受けることが多くなりました。
たとえば、松平元康(後の徳川家康)は今川義元から「元」の字をもらっています。
ちなみに幼名は「竹千代」でした。
またこの儀式は元服を迎える若者に冠を授けるだけでなく、烏帽子親はその若者の後見役を担ったのです。
下克上の戦国時代などは、誰に息子の烏帽子親になってもらうかということは、その家の将来の浮沈をも決める重要な選択だったわけです。
古来「元服の儀」では、多くの大人たちの中で若者が元服を宣言し、大人たちがそれを承認するというものでした。
武家であれば、元服を迎えたことで戦場に赴くことも許されます。
その力が確かにあるかどうかを大人たちは厳しい目で見極め、それを認めることではじめて自分たちの仲間の一員として、相互扶助の輪に加えたのです。
現在、自治体が開催する「成人式」では、多くの新成人がほんの数少ない大人たちを目の前にしておこなわれています。
本来の「元服」は、親兄弟はもちろん親戚縁者や後見役を担う職責者なども加わり、多数の大人の前でとりおこなわれた儀式です。
「一定の年齢に達したから一人前の大人である」ことを認めたのではなく、
「大人になることを許されたというのが本来の意味合い」です。
今少し、成人式のあり方を考え直しても良いのでは、と感じます。
大人の一員となったことを、より多くの大人たちの中で感じていただくことが、真の大人への第一歩。
「成人の日」は、単に自治体の成人式がおこなわれる日ではありません。
新成人の皆さまにとって大人への大切な一歩を刻む、大切な祝日です。
一人の大人として、これからその振る舞いが子供たちの見本となります。
だれからも好かれるような人になって欲しいとは願いません。
ですが、「自分自身が尊敬できるような人間」へなって欲しいと思います。
多くの新成人の皆様にとって素敵な一日となりますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿